アリスタルコスの地動説が1800年眠っていた理由
地動説の証明にその生涯と命を懸けた者たちの物語『チ。』。アニメ化され多くの人を魅了しています。主人公たちの心を動かした「地動説」。
これを最初に提唱したのは古代ギリシャの天文学者アリスタルコスです。しかし、彼の説が世の中に認識されるまで1800年近くかかりました。彼の説が1800年もの間埋もれてしまったのはなぜでしょうか?
そして1800年後に再発見された理由。
今日は、これらの謎に迫ってみたいと思います。
目次
– 最初に地動説を唱えたアリスタルコス
– アリスタルコスによる地球・月・太陽の位置と大きさ
– アリスタルコスのユニークな測定方法
– 地動説を封じ込めたプトレマイオスの天動説
– アリスタルコスが証明できなかった年周視差の問題
– 地動説はいかにして生き残ったのか?
– 未来の常識の種は身近に
最初に地動説を唱えたアリスタルコス

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紀元前3世紀に生きた天文学者アリスタルコス。
彼は最初に太陽中心説を唱えました。
彼は日食で太陽がすっぽり月に隠れてしまうことから、太陽が地球よりずっと大きいことを発見しました。そして太陽よりずっと小さい地球が太陽の周りを回る方が合理的ではないかという結論に達したのです。
そして驚くことに、彼は説を唱えただけではなく、実際に地球から月の距離、そして地球から太陽の距離を計算し、科学的に立証しました。
アリスタルコスによる地球・月・太陽の位置と大きさ

アリスタルコスは太陽の位置と大きさを調べるために、半月を利用しました。
月が半月になっている時は、太陽の光が月の面に対して並行に当たっている時です。
つまり、地球ー月ー太陽の角度が90°の時、地球から半月が見えるわけです。
これで地球ー月ー太陽を点とする巨大な直角三角形ができます。
アリスタルコスはこの巨大三角形のプロトタイプを作り、実際に鋭角を測り、地球と太陽の距離が地球と月の20倍であること、太陽の直径は地球の直径の6倍、つまり太陽は地球の6倍であることを突き止めました。
実際の地球と太陽の距離と大きさ
地球と月の距離を1とした時の、地球と太陽の距離の比率は389で、約 149,600,000 kmになります。また、太陽の直径は地球の直径の109.2倍で約1,392,000 kmになります。
アリスタルコスのユニークな測定方法
地球から月、太陽までの距離

ここで、アリスタルコスの計算方法を説明しましょう。
まず、三角形の辺と角を以下に命名します。
A:地球ー月
B:月ー太陽
C:地球ー太陽
x:地球を点とした鋭角
y:月を点とした直角
z:太陽を点とした鋭角
プロトタイプ三角形で鋭角xを測ったところ、87°でした。
これで残りの鋭角zは、180°-87°=3°になります。
Aを1としてBとCを測るとその比率は、
A:B = 1:18(実際は1:19.081)
A:C = 1:20(実際は1:19.107)になりました。
つまり地球から太陽までの距離は、地球から月までの20倍となるのです。
Aの実際の距離がわかれば、それを20倍すれば太陽までの距離が割り出せます。
月と太陽の大きさ

そして手を伸ばして月がすっぽり隠れる高さのもの aを立て、aの高さを1とします。
aと目の距離xまでの比は1:100でした。
月の直径bと月から地球までの距離をx’とすると b:x’も1:100になります。
地球から月までの距離x’がわかれば、その100分の1が月の直径です。
月の直径に円周率をかければ月の大きさがわかります。
前述から、地球から太陽までのx”は、地球から月までの距離 x’の20倍ですので、x’’=20x’。
20x’の100分の1が太陽の直径となり、これで太陽の大きさがわかります。
地動説を封じ込めたプトレマイオスの天動説
しかし、当時はアリストテレスの地球が宇宙の中心であるという考えが絶対的な権威となっており、その上、その後に出てくるプトレマイオスの天動説が「地球が宇宙の中心説」を確定してしまいました。これによってアリスタルコスの地動説は完全に忘れられてしまったのです。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
プトレマイオスの天動説は、当時の観測レベルにおいて惑星の動きをうまく説明していました。
そしてもう一つ、「地球が宇宙の中心説」を後押しする大きな要因があります。
それは、キリスト教です。
特に中世ヨーロッパにおいてですが、地球が宇宙の中心という考えがキリスト教の教えと強く結びつきました。
アリスタルコスが証明できなかった年周視差の問題

さらに言えば、「地動説(太陽中心説)」は技術的に問題がありました。
「地動説が正しいなら年周視差(地球が動くことで、近くの星の位置が遠くの星に対して少しずれて見えること)が見えるはず」という現象です。
これを観測できるだけの、望遠鏡などの観測道具が当時はなかったのです。
つまり、技術の限界と時代の常識という壁がアリスタルコスのアイデアを1800年封じこめたのです。
地動説はいかにして生き残ったのか?

キリスト教の教えが絶対だった中世ヨーロッパでは、アリスタルコスの地動説は異端でした。
この異端説はどのようにして1800年生き延びることができたのでしょうか?
アリスタルコスの地動説を含む、古代ギリシャの多くの文献はギリシャを出て、エジプトのアレクサンドリア図書館に集められました。この時期、文化と知識の中心はアレクサンドリアでした。
紀元前2世紀にローマが地中海の覇権を握ると、アレクサンドリアの知識人たちは追放され、貴重な文献の大半は燃やされてしまいました。
ところが、追放された知識人たちがかろうじて持ち出した文献の中に、アリスタルコスの「太陽と月の大きさと距離について」があったのです。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリスタルコスの地動説を含む古代ギリシャの文献は、その後ビザンチン帝国に渡り、1453年オスマントルコによるコンスタンティノープル陥落が始まると、これまた知識人たちによって西ヨーロッパに運ばれました。
この時期のヨーロッパは、度重なる十字軍遠征の失敗と東方から持ち込まれた新しい知識や技術によって教会の権威が崩れ、世界の中心は神ではなく「人間」とする「ルネサンス(文芸復興)」が起こっていました。

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポーランドの大学で天文を学ぶコペルニクスがアリスタルコスの地動説を知ったのはこの時でした。
コペルニクスは聖職に就きながら、地動説の論文を書き、生涯に渡って推敲と加筆を繰り返し、臨終間際にようやく著書『天球の回転について』を出版しました。
その後、ケプラーが楕円軌道を発見し、ガリレオが望遠鏡を使って観測し、ニュートンの万有引力が地動説を科学的に証明しました。
未来の常識の種は身近に

アリスタルコスの着想からニュートンの証明まで1800年以上。
本当に長い道のりでした。
あるアイデアの科学的な正しさが受け入れられるのは、理論や証拠だけではなく、それを可能にする技術と時代の考え方、社会のあり方がいかに重要かがわかります。
未来の常識の種は、天文学以外にも、もしかしたら私たちの身近に存在していて、時代が追いつくのをじっと待っているのかもしれません。
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